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「ベストチョイス」朗読会 ご講評 三浦メンタルクリニック 院長 三浦 彌 先生 [日記]

「ベストチョイス」朗読会 ご講評

三浦メンタルクリニック 院長 三浦 彌 先生

どうも皆さん、こんにちは。連休の忙しい中、大変、来て頂きましてありがとうございます。今日ここに参加されている方の多くは、この村上先生の言ってらっしゃる「ギヴアンドギヴ」の生活をされている方がきっと多いのではないかと思うのです。おそらく日頃、多くの人のためにこころをさき、そして励ましておられる方が多いのではないかと思います。今日、朗読を私もじっくり聞かせてもらいまして、あらためて何かこころ爽やかになるような思いがいたしまして、村上さんの心が本当に良く伝わってきたのではないかと思います。

村上さんのことを良くご存じない方はなぜこのような「ベストチョイス」が出てきたのか、お分かりにならないだろうと思いますし、村上さんを本当に知っていることによって、この「ベストチョイス」の意味がさらに深まるだろうと思うのです。私は村上さんとはもう本当に25、6年のお付き合いをさせて頂いておりまして、ずっと村上さんの人生というものを見せて頂いてきたのです。

いちばん最初の出会いは学校の先生をおやりになっていた時代なのですけども、どうしても教員をやめると、この悩みが非常に強かったのです。先生は偽りができない方なので、教師として、生徒に教えるということに対して非常に真面目な方で、どうしても教師という仕事を続けることができないと、今時にはめずらしい先生だったわけです。本当に真面目に悩み、苦しみ、教員としてやっていけないと。私がどれほど口をすっぱくして辞めないようにと、現実的なことを考えなさいと、ということで説教したか分かりません。しかし決して先生はやっていこうとしなかったのです。少し休んで考えなさいといっても結局は辞めました。それだけ真面目に人生というものを見つめている先生なのです。

本当に苦しまれたのだと思うのです。長い年月、経済的にも大変な時期を過ごしたことでしょうし、生きるということ、本当に命に関わるいろんなことを真面目に考えてきた方だと私は思います。学童保育もやられて、本当にその時は活き活きと偽りのない自分でやってらっしゃったということも見てまいりました。しかし先生はかなり苦しみまして、本当に生きるか死ぬかというところまで悩まれておりました。本当に生きることが難しいということを考えられた先生だと思います。この「ベストチョイス」が最初に書いてあるようなこの苦しい気持ち、こういう最初の「やっとやっと出会えた」と最初に書かれているのはまさしく村上先生の気持ちなのですね。長い間苦しかったその気持ちなのです。その解放がなかなかできませんでした。

ところがある時、本当に見事に転換されたのですね。本当にもう心が天に昇るような、元気な心になられたことがありました。それはやはり我々の言葉で言うとひとつの心の転換というか、悟りというか、大きな変化が押し寄せたのです。これはやっぱり我々こころをあつかっているお仕事をしていますとそういう方が本当に外来にいらっしゃるのです。もう長く長く悩んで、我々の力がいくらあってもなかなかかなわない。決して病気というのではなくて、心の悩みとしてずっと持ち続けるという方がいらっしゃるのです。そしてある時、急に転換されるのです。我々はコペルニクス転回というふうに言うのですけれども、もう悩んで悩んで、悩み続けると急に転換しちゃうのです。これはもう本当にすごい。人間ってすごいなと多くの方から我々教えられてきました。ですから人間っていうのは本当に真面目に悩めば悩むほど心を転換することができるということを教えられます。

村上先生のもっとすごいことは行動で示したということです。この文章に書いてありますが、言葉ではいくらでもいえます。人に愛を捧げること、与えること。これはいくらでも言えます。しかし、すべてを投げうってある人のために尽くすということはできることではないのです。私財を全て投げ打ちですね、自分の生活を省みないで人を助けると。しかしそれもただ単に愛情で助けるのではなく、もうあらゆる調査をし、あらゆる頭を使いで関係各機関とわたりあって、そしてひとりの困った被害者を救っていたという経過があるのです。これはもうなかなかできることではないのですね。誰でもできることではないと私は思うのです。だから村上先生ができたのはそういう心の苦しみを長い間わずらってきて、本当に人の心のつらさというものを知っていたのだろうと思うのです。知っていたからこそ、そこに苦しんでいる人を捨てておけなかった。救うことによってまた先生は一段と飛躍されたのです。

これがこの本となって表れたのですが、本当に人を救うということがなかなかできない時代です。この世の中は自分のためだけに生きている方が多いし、また人を利用するために生きている人が非常に多い時代です。その中でこのように無心になって「ギヴアンドギヴ」を続けられるということは、これは本当にすごいことでして、誰でもできることではないと私は思います。そのことを我々がこの文章で知ることによって、日頃の自分の心のもやもやとしたものが救われることがそうとうあると思うのです。ですから、本をもし読まれた方は、恐らく自分の中にあるひとつの大きな変化に気がつくのだろうと私は思うのです。

私が書いた(オビの)文章とちょっと皆さんが読んだ文章と違った感じがしたかもしれませんが、私はこの「ベストチョイス」を村上先生が我々に語っているあなたという私に語っているとは思うのですけれども、この文章はまた村上先生自身が、自分が私という自分に語っているという文章でもあると思うのです。それは私たち自身も自分の中にある僕という人と出会わなければならないだろうというふうに思ってこれを読ませて頂きました。それはやはり思い悩む自分というものがずっとあるわけです。そして何故と問いかける自分があるわけです。人生とはいったい何なのだろうと。何故生きていかなくてはならないのだろうとか、人間はどこからきてどこへ行くのだろうとか、こういう永遠なテーマはずっとあるわけです。でも誰も答えは出せないわけです。

安易に、宗教家は神様を持ち出して答えを出そうとしますけども、それは答えになっていないわけです。なってないが故に宗教戦争が起こるし、今世界中を狂わせているのは宗教です。宗教が人間を狂わせてしまっているわけで、神様によってこの人間はなぜ生きるかという答えは出せていないのです。ですから安易に宗教によって答えを出すことは非常に危険なことであろうというふうに思うのです。

いちばんそういう点で私たちが、私自身、自分自身にあるこの魂に気がつくことが一番大事だろうと思うのです。この「ベストチョイス」の中に表れてくる僕というのは、ある意味では私たちの魂ではないかと思うのです。いっしょうけんめい生きてきた私、しかし思い悩み、いろいろな問題に振り回され、そして未来が分からない。これからどうして生きていったら良いか分からない私というものがいるわけです。でもそれがこの本の、「ベストチョイス」の中に表れてくる僕という人間は、僕という私といいましょうか、これは本当に魂なわけです。もう悩み続け、悩み続け、そして辿り着いた魂だろうと私は思います。それは村上先生の中にはっきりと自覚できたというふうに思うわけです。

人間はどうして生きているのだろうかとか、人間はいったいどこに行ってしまうのだろうか、答えは本当に分かりませんし、本当に村上先生がおっしゃる、その宇宙の果ては何なのだろうとか、宇宙がどっから始まったのだろうと考えるともう底つきるくらい、底のないほど悩み続けなければいけないわけですね。しかし、そうではないと。その悩みから一転してどう生きるのかと気付いたわけです。人のために生きていこうと気付かれたわけです。その心が、本当に我々がこの迷いからさめる第一歩になることが多いと思うのです。やはり自分が自分のためだけになかなか生きられないのです。自分は自分のために生きようと思うと、まず先が見えてこないわけです。しかし、本当に人のために無償に生きるということが本当にできれば、自分がほんとうに生きる意味というのが分かってくる。すなわち自分は何をして生きていこうとしているのか、何をするのか、行うことだと(「ベストチョイス」の中で)おっしゃっていますけども、そうだと思うのです。

人生の意味はまあ皆さんそれぞれお持ちだと思いますし、いろいろな解決をして生きていらっしゃると思いますし、それはそれぞれでいいと思うのですけれども、村上先生が気がついたこの自分。本当に魂の自分というものに本当に自分を委ね、そして行動し、そして多くの人を助けることができたと。本当に素晴らしいと思うのです。

我々、精神科の治療をしていまして、やっぱりいちばん大事なのは魂に向かって語りかけることなのです。どうやってそれに気付いてくれるか。皆、気付かないわけですよね。皆、やはりそこにある症状、あるいは毎日の生活に追われているわけです。もう自分と向かい合う時間がないわけです。忙しい中でまあ明日どうやって生きていこうかと、今日の問題をどうしようかと、それが人間だと思うのですけれども、こころ病んだ人というのはその中でやはりその本当の意味は何なのだろうと、本当に生きるって何なのだろうということを真剣に考える人たちなのだと思うのです。ですから我々も真剣に寄りそって、その患者さんのこころに何としてでも魂が目覚めて欲しいというふうに思うのです。

魂の問題というのはやはりこれからも必要なことだろうと思うのです。決して精神科の治療って技術でもないし、薬でもないし、やっぱりこころの中の魂がこう甦ってくると言いましょうか、それがいちばん大事なのだろうと思うのです。そのために我々に何ができるか、本当に微力ですけれど、やっぱり我々が寄りそってできることはその魂に向かってはたらきかけていくことじゃなかろうかと思うのです。そういう意味ではこの「ベストチョイス」は多くの人の魂に向かってはたらきかける言葉なのですね。

この言葉というのがどれだけ人を救うかというのも本当に大きなことでして、人間は言葉によって救われることが多いです。うちの外来にも言葉を書いた絵を飾ってあるのですけれども、それが非常に多くの人に感銘を与えてきた経過があるのです。うちの外来に来た方はご存知かもしれませんけれども、何てことはない蹲踞(そんきょ)の観光のところで買ってきたのですけれども、非常にこころに響く内容で、本当に苦しんだ人が聞くと勇気を与えられる言葉があるのです。それが皆さん多くの方から感謝されました。本当に多くの方がその絵を見て、言葉を読んで助けられたと言っておられました。村上さんの言葉も本当に多くの方がもしこれを目にすることができれば、よし生きていこうと、やっていこうというような気になって頂けるだろうと思うのです。

そういうことでこの無償の愛と言いましょうか、行為と言いましょうか、なかなかできません。我々はやっぱり利害がどうしてもからんでしまいますし、自分という我が邪魔しますので、なかなかこのように美しくは生きられないだろうと思います。でも、少しでもそういう心が自分の中にあったら、どんなにかこの人生が少しでも楽になるか、少しでもただ楽しくなるかという気がします。実際にこの「ベストチョイス」と同じようなこころを持っていらっしゃる方が、私、たくさんいると思うのです。世の中には本当に何も考えず、無心に人のため、人に喜んでもらいたいと思って生きている方がたくさんいらっしゃるのです。そういう方を見ることによってどれだけか我々が救われるか分かりません。あの三浦綾子さんが書かれた塩狩峠という本が、皆さん、読んだ方がいらっしゃると思いますけども、ああいう本を読むと本当に人を無心になって救うということがどんなにか素晴らしいかということが良く分かります。それが多くの人に感動を与えるし、また生きる力も与えてくれているというふうに思います。

そういったこころに響く「ベストチョイス」ということで、私はなかなかこういう文章は書けないと思います。これはやっぱり村上先生が自分の体験を通して、苦しみの中から、そして行動の中から書き上げたものというふうに思います。ですから皆さんもこの言葉の裏に、村上先生がどれだけ苦しんできたのか、教員をやっていればもっと楽に生きてきたのではないかと思うのです。何も苦労しなくても良かったのだろうと私いつも思うのですけども、学校の高校教師として立派に物理学も勉強されて何も問題はない。それが「何故何故ぼうや」っていいましょうか、何故生きているのかという悩みが、ずっと抜けなかったのだろうと思います。真実に生きていこうと、ずっと思い続け、もう30年近くですよね。

そして自分の交通事故という非常に不幸なことに出会いました。本当に死んでいたかも知れません。正直言うとそのときは死にたかったのかもしれないと私は思います。もう死んでもいいというくらい気持ちはズタズタでした。先生自身はもう本当に生きていけるのかなと私は思っていました。そのときに交通事故にあってしまったのです。それで、その交通事故をいろいろと加害者、被害者の立場から、いろいろと話し検討していく中で、自分の不合理性というものに気付いて、どんどんと目覚めていったのですね。そして同時にそういう被害で悩んでいる方を救おうという気持ちになっていったのです。ですから、恐らくそういう苦しみがなければ、こういうこころに到達しなかっただろうと思いますし、そのことが裏にあるから我々に感動を与えてくれるのだろうというふうに思います。

これからも、村上先生は大変だろうと思います。本当にもっともっと多くの方にこの文章を、この本を読んで頂いて、日本の社会の中にもう少し優しいこころが広がってほしいと思うのです。学校教育にとっても、本当に皆さん無責任で人のために何かをしようということはどこにもないわけです。自分さえ良ければ良い、また、あるいはお金さえもうければ良いというようなこの世の中で、もう日本人は本当に腐ってしまっているのかなと思いますので、少しでも人に喜んでもらえる、人に何かしてあげたいという気持ちがもしあればこんなことはないと思うんです。どうも世の中がそういう方向にどんどん動いてきまして、ものを作るにしても、もっともっとちゃんとものを使う人のことを考えてやってほしいし、不二家の傲慢な態度には大変困ったものだと思うのですけど、本当に人を思う気持ちがあればこんなことは起きないだろうと思うのです。

ですから本当に「ベストチョイス」にある「ギヴアンドギヴ」、これは決して宗教心から起こってきたわけでもないし、これは宗教の本でもないし、村上先生の自分の人生から、体験から生み出した言葉だということを知って頂きたい。うかつにすると宗教と間違われてしまう恐れがあるのです。でも宗教とは全く違うわけですね。宗教のほうがもっと堕落していると私は思うのですけれど、そんなことで私の意見を述べさせて頂きました。どうも失礼しました。(平成19年2月12日「ベストチョイス」朗読会より)

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