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Music Review 006「どんなときも」(槇原 敬之) [日記]

完全な人生などあり得ません。

失敗のない人生などあり得ません。

誰もが挫折し、夢を打ち砕かれ、厳しい現実の前に打ちひしがれるのです。

震えるこころ。

萎えるこころ。

怯えるこころ。

泣くこころ。

孤独なこころ。

夢も希望も愛も失ったとき、人は迷います。

そんな人生のピンチのとき、こころを支えてくれる歌に出会えたらどれほどいいでしょう。

そのひとつがこの曲だと思います。

「どんなときも どんなときも」

「僕が僕らしくあるために」

それでいいんですよね。

人を愛し、人を守れる力が勇気に変わっていくのだと思います。

槇原敬之 - どんなときも。(ユーチューブ)

はっこう
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本日の控訴審第1回 被控訴人の証人尋問はいとも簡単に却下 [日記]

次回控訴審での被控訴人の証人尋問を求めていたが

「重要な影響を及ぼさない」(裁判長)として退けた。

おいおい、重要だから申請したのだ。

控訴人は前審で証人尋問に応じている。

唯一、被控訴人だけが証人尋問だけが出廷拒否している。

「公平と不公平がとかは関係なく・・・」(裁判長)

どう見ても不公平だろ。

次回は6月12判決となった。

はっこう


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本日は控訴審第1回 被控訴人の証人尋問をめぐる攻防。。。 [日記]

本日、札幌地方裁判所において控訴審第1回が開かれる。


慰謝料請求控訴事件

日時 3月27日(火) 午前11時

場所 札幌地方裁判所 701号法廷

控訴人 村上博行

被控訴人 〇〇〇〇〇


この間、控訴理由書(控訴人)、答弁書(被控訴人)、準備書面(控訴人)と書面で争ってきた。

被控訴人は札幌簡易裁判所での証人喚問をすっぽかした。

どんな理由だったは知らない。

裁判官と代理人がこそこそ話をして、出廷拒否は認められた。

弁護士忖度があったのは間違いない。

今度こそ、法廷に引きずり出したいので、今、知恵をひねっている。

※ 民事裁判(係争中)(NPOギヴアンドギヴ)
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よく理解してくれる精神科医をホームドクターにしてはいかがかと。。。 [日記]

下記の記事にありますように精神科医三浦ドクターは数々の素晴らしいエピソードがある名医です。
私は20代から精神科医三浦ドクターの存在を知り、その後、私のホームドクターとなりました。
精神科というだけで偏見のある日本です。
聞くところによりますと、アメリカでは精神科医のホームドクターは当たり前とされています。
ストレスの多いこの世の中です。
是非、皆さんにも素晴らしい精神科医をホームドクターにしてはいかがと思います。
思いを吐き出すだけでスッキリしますよ。

はっこう
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「ベストチョイス」朗読会 ご講評 三浦メンタルクリニック 院長 三浦 彌 先生 [日記]

「ベストチョイス」朗読会 ご講評

三浦メンタルクリニック 院長 三浦 彌 先生

どうも皆さん、こんにちは。連休の忙しい中、大変、来て頂きましてありがとうございます。今日ここに参加されている方の多くは、この村上先生の言ってらっしゃる「ギヴアンドギヴ」の生活をされている方がきっと多いのではないかと思うのです。おそらく日頃、多くの人のためにこころをさき、そして励ましておられる方が多いのではないかと思います。今日、朗読を私もじっくり聞かせてもらいまして、あらためて何かこころ爽やかになるような思いがいたしまして、村上さんの心が本当に良く伝わってきたのではないかと思います。

村上さんのことを良くご存じない方はなぜこのような「ベストチョイス」が出てきたのか、お分かりにならないだろうと思いますし、村上さんを本当に知っていることによって、この「ベストチョイス」の意味がさらに深まるだろうと思うのです。私は村上さんとはもう本当に25、6年のお付き合いをさせて頂いておりまして、ずっと村上さんの人生というものを見せて頂いてきたのです。

いちばん最初の出会いは学校の先生をおやりになっていた時代なのですけども、どうしても教員をやめると、この悩みが非常に強かったのです。先生は偽りができない方なので、教師として、生徒に教えるということに対して非常に真面目な方で、どうしても教師という仕事を続けることができないと、今時にはめずらしい先生だったわけです。本当に真面目に悩み、苦しみ、教員としてやっていけないと。私がどれほど口をすっぱくして辞めないようにと、現実的なことを考えなさいと、ということで説教したか分かりません。しかし決して先生はやっていこうとしなかったのです。少し休んで考えなさいといっても結局は辞めました。それだけ真面目に人生というものを見つめている先生なのです。

本当に苦しまれたのだと思うのです。長い年月、経済的にも大変な時期を過ごしたことでしょうし、生きるということ、本当に命に関わるいろんなことを真面目に考えてきた方だと私は思います。学童保育もやられて、本当にその時は活き活きと偽りのない自分でやってらっしゃったということも見てまいりました。しかし先生はかなり苦しみまして、本当に生きるか死ぬかというところまで悩まれておりました。本当に生きることが難しいということを考えられた先生だと思います。この「ベストチョイス」が最初に書いてあるようなこの苦しい気持ち、こういう最初の「やっとやっと出会えた」と最初に書かれているのはまさしく村上先生の気持ちなのですね。長い間苦しかったその気持ちなのです。その解放がなかなかできませんでした。

ところがある時、本当に見事に転換されたのですね。本当にもう心が天に昇るような、元気な心になられたことがありました。それはやはり我々の言葉で言うとひとつの心の転換というか、悟りというか、大きな変化が押し寄せたのです。これはやっぱり我々こころをあつかっているお仕事をしていますとそういう方が本当に外来にいらっしゃるのです。もう長く長く悩んで、我々の力がいくらあってもなかなかかなわない。決して病気というのではなくて、心の悩みとしてずっと持ち続けるという方がいらっしゃるのです。そしてある時、急に転換されるのです。我々はコペルニクス転回というふうに言うのですけれども、もう悩んで悩んで、悩み続けると急に転換しちゃうのです。これはもう本当にすごい。人間ってすごいなと多くの方から我々教えられてきました。ですから人間っていうのは本当に真面目に悩めば悩むほど心を転換することができるということを教えられます。

村上先生のもっとすごいことは行動で示したということです。この文章に書いてありますが、言葉ではいくらでもいえます。人に愛を捧げること、与えること。これはいくらでも言えます。しかし、すべてを投げうってある人のために尽くすということはできることではないのです。私財を全て投げ打ちですね、自分の生活を省みないで人を助けると。しかしそれもただ単に愛情で助けるのではなく、もうあらゆる調査をし、あらゆる頭を使いで関係各機関とわたりあって、そしてひとりの困った被害者を救っていたという経過があるのです。これはもうなかなかできることではないのですね。誰でもできることではないと私は思うのです。だから村上先生ができたのはそういう心の苦しみを長い間わずらってきて、本当に人の心のつらさというものを知っていたのだろうと思うのです。知っていたからこそ、そこに苦しんでいる人を捨てておけなかった。救うことによってまた先生は一段と飛躍されたのです。

これがこの本となって表れたのですが、本当に人を救うということがなかなかできない時代です。この世の中は自分のためだけに生きている方が多いし、また人を利用するために生きている人が非常に多い時代です。その中でこのように無心になって「ギヴアンドギヴ」を続けられるということは、これは本当にすごいことでして、誰でもできることではないと私は思います。そのことを我々がこの文章で知ることによって、日頃の自分の心のもやもやとしたものが救われることがそうとうあると思うのです。ですから、本をもし読まれた方は、恐らく自分の中にあるひとつの大きな変化に気がつくのだろうと私は思うのです。

私が書いた(オビの)文章とちょっと皆さんが読んだ文章と違った感じがしたかもしれませんが、私はこの「ベストチョイス」を村上先生が我々に語っているあなたという私に語っているとは思うのですけれども、この文章はまた村上先生自身が、自分が私という自分に語っているという文章でもあると思うのです。それは私たち自身も自分の中にある僕という人と出会わなければならないだろうというふうに思ってこれを読ませて頂きました。それはやはり思い悩む自分というものがずっとあるわけです。そして何故と問いかける自分があるわけです。人生とはいったい何なのだろうと。何故生きていかなくてはならないのだろうとか、人間はどこからきてどこへ行くのだろうとか、こういう永遠なテーマはずっとあるわけです。でも誰も答えは出せないわけです。

安易に、宗教家は神様を持ち出して答えを出そうとしますけども、それは答えになっていないわけです。なってないが故に宗教戦争が起こるし、今世界中を狂わせているのは宗教です。宗教が人間を狂わせてしまっているわけで、神様によってこの人間はなぜ生きるかという答えは出せていないのです。ですから安易に宗教によって答えを出すことは非常に危険なことであろうというふうに思うのです。

いちばんそういう点で私たちが、私自身、自分自身にあるこの魂に気がつくことが一番大事だろうと思うのです。この「ベストチョイス」の中に表れてくる僕というのは、ある意味では私たちの魂ではないかと思うのです。いっしょうけんめい生きてきた私、しかし思い悩み、いろいろな問題に振り回され、そして未来が分からない。これからどうして生きていったら良いか分からない私というものがいるわけです。でもそれがこの本の、「ベストチョイス」の中に表れてくる僕という人間は、僕という私といいましょうか、これは本当に魂なわけです。もう悩み続け、悩み続け、そして辿り着いた魂だろうと私は思います。それは村上先生の中にはっきりと自覚できたというふうに思うわけです。

人間はどうして生きているのだろうかとか、人間はいったいどこに行ってしまうのだろうか、答えは本当に分かりませんし、本当に村上先生がおっしゃる、その宇宙の果ては何なのだろうとか、宇宙がどっから始まったのだろうと考えるともう底つきるくらい、底のないほど悩み続けなければいけないわけですね。しかし、そうではないと。その悩みから一転してどう生きるのかと気付いたわけです。人のために生きていこうと気付かれたわけです。その心が、本当に我々がこの迷いからさめる第一歩になることが多いと思うのです。やはり自分が自分のためだけになかなか生きられないのです。自分は自分のために生きようと思うと、まず先が見えてこないわけです。しかし、本当に人のために無償に生きるということが本当にできれば、自分がほんとうに生きる意味というのが分かってくる。すなわち自分は何をして生きていこうとしているのか、何をするのか、行うことだと(「ベストチョイス」の中で)おっしゃっていますけども、そうだと思うのです。

人生の意味はまあ皆さんそれぞれお持ちだと思いますし、いろいろな解決をして生きていらっしゃると思いますし、それはそれぞれでいいと思うのですけれども、村上先生が気がついたこの自分。本当に魂の自分というものに本当に自分を委ね、そして行動し、そして多くの人を助けることができたと。本当に素晴らしいと思うのです。

我々、精神科の治療をしていまして、やっぱりいちばん大事なのは魂に向かって語りかけることなのです。どうやってそれに気付いてくれるか。皆、気付かないわけですよね。皆、やはりそこにある症状、あるいは毎日の生活に追われているわけです。もう自分と向かい合う時間がないわけです。忙しい中でまあ明日どうやって生きていこうかと、今日の問題をどうしようかと、それが人間だと思うのですけれども、こころ病んだ人というのはその中でやはりその本当の意味は何なのだろうと、本当に生きるって何なのだろうということを真剣に考える人たちなのだと思うのです。ですから我々も真剣に寄りそって、その患者さんのこころに何としてでも魂が目覚めて欲しいというふうに思うのです。

魂の問題というのはやはりこれからも必要なことだろうと思うのです。決して精神科の治療って技術でもないし、薬でもないし、やっぱりこころの中の魂がこう甦ってくると言いましょうか、それがいちばん大事なのだろうと思うのです。そのために我々に何ができるか、本当に微力ですけれど、やっぱり我々が寄りそってできることはその魂に向かってはたらきかけていくことじゃなかろうかと思うのです。そういう意味ではこの「ベストチョイス」は多くの人の魂に向かってはたらきかける言葉なのですね。

この言葉というのがどれだけ人を救うかというのも本当に大きなことでして、人間は言葉によって救われることが多いです。うちの外来にも言葉を書いた絵を飾ってあるのですけれども、それが非常に多くの人に感銘を与えてきた経過があるのです。うちの外来に来た方はご存知かもしれませんけれども、何てことはない蹲踞(そんきょ)の観光のところで買ってきたのですけれども、非常にこころに響く内容で、本当に苦しんだ人が聞くと勇気を与えられる言葉があるのです。それが皆さん多くの方から感謝されました。本当に多くの方がその絵を見て、言葉を読んで助けられたと言っておられました。村上さんの言葉も本当に多くの方がもしこれを目にすることができれば、よし生きていこうと、やっていこうというような気になって頂けるだろうと思うのです。

そういうことでこの無償の愛と言いましょうか、行為と言いましょうか、なかなかできません。我々はやっぱり利害がどうしてもからんでしまいますし、自分という我が邪魔しますので、なかなかこのように美しくは生きられないだろうと思います。でも、少しでもそういう心が自分の中にあったら、どんなにかこの人生が少しでも楽になるか、少しでもただ楽しくなるかという気がします。実際にこの「ベストチョイス」と同じようなこころを持っていらっしゃる方が、私、たくさんいると思うのです。世の中には本当に何も考えず、無心に人のため、人に喜んでもらいたいと思って生きている方がたくさんいらっしゃるのです。そういう方を見ることによってどれだけか我々が救われるか分かりません。あの三浦綾子さんが書かれた塩狩峠という本が、皆さん、読んだ方がいらっしゃると思いますけども、ああいう本を読むと本当に人を無心になって救うということがどんなにか素晴らしいかということが良く分かります。それが多くの人に感動を与えるし、また生きる力も与えてくれているというふうに思います。

そういったこころに響く「ベストチョイス」ということで、私はなかなかこういう文章は書けないと思います。これはやっぱり村上先生が自分の体験を通して、苦しみの中から、そして行動の中から書き上げたものというふうに思います。ですから皆さんもこの言葉の裏に、村上先生がどれだけ苦しんできたのか、教員をやっていればもっと楽に生きてきたのではないかと思うのです。何も苦労しなくても良かったのだろうと私いつも思うのですけども、学校の高校教師として立派に物理学も勉強されて何も問題はない。それが「何故何故ぼうや」っていいましょうか、何故生きているのかという悩みが、ずっと抜けなかったのだろうと思います。真実に生きていこうと、ずっと思い続け、もう30年近くですよね。

そして自分の交通事故という非常に不幸なことに出会いました。本当に死んでいたかも知れません。正直言うとそのときは死にたかったのかもしれないと私は思います。もう死んでもいいというくらい気持ちはズタズタでした。先生自身はもう本当に生きていけるのかなと私は思っていました。そのときに交通事故にあってしまったのです。それで、その交通事故をいろいろと加害者、被害者の立場から、いろいろと話し検討していく中で、自分の不合理性というものに気付いて、どんどんと目覚めていったのですね。そして同時にそういう被害で悩んでいる方を救おうという気持ちになっていったのです。ですから、恐らくそういう苦しみがなければ、こういうこころに到達しなかっただろうと思いますし、そのことが裏にあるから我々に感動を与えてくれるのだろうというふうに思います。

これからも、村上先生は大変だろうと思います。本当にもっともっと多くの方にこの文章を、この本を読んで頂いて、日本の社会の中にもう少し優しいこころが広がってほしいと思うのです。学校教育にとっても、本当に皆さん無責任で人のために何かをしようということはどこにもないわけです。自分さえ良ければ良い、また、あるいはお金さえもうければ良いというようなこの世の中で、もう日本人は本当に腐ってしまっているのかなと思いますので、少しでも人に喜んでもらえる、人に何かしてあげたいという気持ちがもしあればこんなことはないと思うんです。どうも世の中がそういう方向にどんどん動いてきまして、ものを作るにしても、もっともっとちゃんとものを使う人のことを考えてやってほしいし、不二家の傲慢な態度には大変困ったものだと思うのですけど、本当に人を思う気持ちがあればこんなことは起きないだろうと思うのです。

ですから本当に「ベストチョイス」にある「ギヴアンドギヴ」、これは決して宗教心から起こってきたわけでもないし、これは宗教の本でもないし、村上先生の自分の人生から、体験から生み出した言葉だということを知って頂きたい。うかつにすると宗教と間違われてしまう恐れがあるのです。でも宗教とは全く違うわけですね。宗教のほうがもっと堕落していると私は思うのですけれど、そんなことで私の意見を述べさせて頂きました。どうも失礼しました。(平成19年2月12日「ベストチョイス」朗読会より)

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本人訴訟のノウハウ。。。裁判官がどちらに味方するか。。。それで決まる [日記]

私は本人訴訟で民事裁判をおこしました。

悪い奴を懲らしめるためです。

本人訴訟を望みたい方々へ、やってきた事を書きます。

また裁判所には書式のテンプレ―が用意されており、ネットでダウンロードできます。

法律関係のサイトに載ってもいます。

分からなければ当該裁判所に問い合わせるか、赴き、聞きます。

まず、告訴状は、言いたいことを、具体的に、箇条書きに、時系列的に、いつ、どこで、誰が、など詳細に書きます。

例えば最初に

1 被告は原告の〇〇です。(例)

1 被告は原告が務めている会社の〇〇部の〇長です。(例)

。。。。。。

みたいに言いたいことを、淡々と箇条書きに述べていくのがいいと思います。(そうしたくない人もいるが)

誤字脱字は厳禁です。

あとは証拠証ですね。

訴状の中でで述べたとおりにに、「甲第1号証」「甲第2号証」。。。と作っていききます。

書式ついては、簡易裁判所であれ、地方裁判所であれ、窓口に行くか、電話してみます。

書式ついて間違いがあれば指摘してくれます。

そうして訴状が完成し、問題なければ裁判所が受理してくれます。

簡易裁判所であれ地方裁判所であれ、おおよそコンビニがあり、コピーもできるし、印紙、切手も買えます。

裁判費用は、被告に対する金額が100万円要求で約15000円程度です。

全部、弁護士に頼むと高いです。(当たり前です)

さて裁判所が受理してくれたら、後に第一回裁判の期日の連絡が郵送されてきます。

被告は最初に「答弁書」を出してきます。

訴状に対する反論です。

以後はは準備書面で互いに反論しあいます。

準備書面だけでなく、証人申請書、陳述書、証拠申立書、、、などがあります。

証言も陳述書で提出できます。

新たな証拠も陳述書で提出できます。

書式が分からない時には当該裁判所に問い合わせるか、無料法律相談電話、無料弁護士相談など(自治体によって異なります)で聞きます。 

準備書面も、陳述書なども早め(10日前から1週間前くらい前)に裁判所に出しましょう。

裁判官は忙しいので、早く出すときちんと読んでくれる可能性が高いです。

分からないことあれば、裁判所の書記官に電話し、事件番号を言い、聞きましょう。

例えば、「証人が書面で証言したいんですが、書式は何でしょう」などです。

私は、前日に必ず裁判の開始時間を、書記官に電話し確認します。

というのも次回の裁判の期日、時間は裁判官が原告、被告と相談し、その場で言い渡されます。

頼れるのは自分のメモしかありません。

まあ、こんな感じで準備書面で互いに論戦します。

裁判終了前に、大事なことあれば裁判長に短く質問できます。

また逆に裁判中に裁判官に聞かれることもあります。

そういう時は、裁判官と被告代理人への視線をそらさず、大きな声で堂々と述べまでょう。

また、服装ですが自由です。

私はステテコ、ジャージ、Gパンなどで出廷しました。

もちろん弁護士はスーツです。(裁判官心証と慣習によるもの)

証人尋問がある場合があります。

その時にはスーツで行きます。

傍聴の方々に失礼になりますから。

最後に皆さんにお伝えしたいと思います。

「本人訴訟」にとっては「ネット」が必須です。

私のほとんどのノウハウは「ネット」です。

「ネット」と「無料弁護士相談電話」と「裁判所の受付窓口」あれば十分です。

さらに訴訟が認められず敗訴、又は満足できない判決になったとしても「控訴」できます。

「控訴」は「控訴状」と「控訴理由書」だけでできます。

大丈夫です。

裁判は三審制です。

控訴2回できます(笑)

そうだとしても裁判費用は安いのです。本人訴訟ですから。

被告は、その度に訴訟代理人にまた高いお金を払います(笑)

そうして最後に言います。

法廷に真実はありません。(本人しか知らないから。嘘ついたりしますから)

裁判官が弁護士のほうばかり忖度するといった噂があります。

裁判官の心証(これが一番怪しい)で判決は決まります。

さらに「刑事告訴」はお金かかりません(笑)

刑法が分かるようになればどんどん地方検察庁に対し「刑事告訴」すればいい。

裁判はこんな感じです。

はっこう
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小さな募金行為 [日記]

私はコンビニやスーパーで募金箱があれば、財布の中の小銭を募金している。
世界は今混沌としている。
強者はさらに強者となり、弱者はさらに弱者へと追い込まれている。
そんな世界に対して私たちは無力である。
せめて募金ぐらいはして協力したいと思う。
大したことではないかもしれないが、やはり自分のNPOの理念に忠実でありたい。
それにしても、他人様が募金箱に小銭を募金している姿を見たことがない。。。
偉そうに言うつもりはないが。

はっこう
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権力を後ろ盾にする横柄で嫌な人間を論破する方法、それは理念。。。 [日記]

私は16年のNPOの活動の中で、権力を後ろ盾にする横柄で嫌な人間に議論に負けたことがない。
大企業しかり、官庁しかり、唯一議論に勝てる方法は、
「あなたの職場の理念を言って下さい」
と突き付けることである。
まず、10人いれば10人、その場で言えませんね。
先に先手を打って「理念」をネットで調べて置き、その場で読み上げてやるというのは最も効果的である。
一言も弁解できないだろう。
恥をかくだけだ。
トドメにこう言ってやる。
「理念を知らないあなたは、本当に職員なんですか?」
だいたいこれで沈没です。
私はこれで「検察の理念」を知らない副検事でさえ撃沈した。
バカ者である。
各省庁の官僚も同じく撃沈した。
バカ者である。
なぜ人は理念を言えないのか。
それは「理念」は「掲げるもの」だと勘違いしているからである。
「理念」は「掲げるもの」ではなく、「行動する」ものである。
これ、一番大事なことである。
僭越ながら、私の10の理念を記事にしましたが、私はこれを「行動」してきたという自負がある。

皆さんも、横柄で嫌な人間には「理念」を突き付けるという論法を知って頂きたいと思います。
どんな権力をも論破できます。

はっこう

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